HYBRIDができるまで①

 2008年、今から14年前。独立することを決意、勤めていた塾の社長にその旨を伝えた。当時教室を任され4年目、全てが順調だったが、「今しかない」との想いで跳び出した。教室最後の日、生徒たちはもちろん、中にはお父さん、お母さんまで塾に来ていただいたところもあり、「あっち(香椎)に行っても頑張って」と激励されたときは流石にホロっときた。が、それと同時に「やるしかない」という気持ちが大きくなった。腹が据わるとはこういうことかと思った。

次の日、契約を済ませた教室に来た。名前はHYBRIDとした。集団とか個別とか既存の形式にとらわれず、いいものを組み合わせ、新しいカタチをつくりたいとの想いから。まずはとりあえず掃除をしたのかな?昨日まで沢山の生徒に囲まれていた自分。しかしこの教室にはまだ誰もいない。たった1日でこのギャップはさすがに堪えた。窓を開けると向かいの塾にはたくさんの生徒が出入りしている。その光景を見せつけられ「この先おれは大丈夫なんだろうか?」と自問自答したことを今でもよく覚えている。

また色んな人から「香椎?そんな激戦区でやらなくても」とよく言われたものだった(今も言われる)。事実、当時この近辺にあった個人塾は今はほとんど存在していない。塾銀座とも呼ばれるここ香椎。我ながらよくここまでやってきたなと近頃思うところがあり、このブログで文字にして残すことを決めた。


なぜわざわざ自分で塾を始めたのか、また、この塾をこれからどのようにしていきたいかを中心に書いていければと思う。

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