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そこから見えてくるものとは

 10月から始めた塾内実施の実力テスト。一定期間を経て再度受験する機会(通称:リ・テスト)を設けた。一度はきちんと理解したことに対し、その内容を忘れかけた頃に復習する「振り返り」が定着率を高めることに有効だと常々考えていたからだ。 全く同じ問題で実施するとのことで「答えを覚えてたら意味がないのでは?」との声も一部あったが、「大丈夫。答えを覚えるくらいまでしっかりとテストのやり直しをしなさい」と答える。情報過多による弊害と言ってもいい、繰り返しが苦手な現代っ子にはこの作業が一番必要なことだと考えている。これはこれからも伝え続けていくつもりだ。 受験日程は希望がない限り、敢えてこちら側でかなり早い時期に決めさせてもらった。理由は以下の通りだ。塾に来た生徒たちに「試験は〇日だけどやり直しは進んでる?」と日々問いかける。それに対して「いや、まだ進んでないので〇〇日後に延期させてもらえませんか」と彼等は答える。このやり取りをすることで「テストがあるから頑張らないといけない」という意識が一段階上に上がる効果を期待して。 実際にテストをしてみると、友達同士で「〇〇点上がった!」「前と変わらない・・」「前より落ちた・・・」など様々な声があがる。前回(2か月前)に比べてどのように結果が変わったのかを帳票にして、目に見える形にもした。そしてこの結果から、次にどう繋げるのかを共有しながら、より充実した学習方法を彼らに掴んで欲しいと考えている。 期末テストが終って、なんとなくぼんやりとしがちな雰囲気を引き締める意味においても非常に意味があるものであった。もうすぐ冬期講習、各自取り組むべき指針は、これでより明確になった。

語彙は正しく身につけよう

 とある会話 男子A「あのゲーム,くそヤバかったっしょ」 男子B「ああ,エグかった」 男子C「ってか,おまえ台パン(ゲーム機の台を興奮して叩くこと)しすぎ」 男子A「あれ,まじヤバかったよね。店員ガン見だから」 男子B「くそウザ」 男子C「つーか,おまえがウザ」 男子B「は?死ねよ」 男子C「おまえが死ね」 現代語訳 男子D「あのゲーム,すごく展開が早くて,やっていてのめり込んじゃったね」 男子E「うん。僕は映像がすごくかっこいいと思った」 男子F「E君,夢中になって興奮して台を叩いていなかった?」 男子D「店員さん見てたよね」 男子E「お店の人や,周りの人に悪いことしたなぁ」 男子F「これから気をつけた方がいいよね」

10月24日更新 2学期・中間テスト結果  皆、よく頑張った!

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魔法使いは何処に?

人間は忘れる動物である 20分後には、42%を忘却し、58%を覚えていた。 1時間後には、56%を忘却し、44%を覚えていた。 1日後には、74%を忘却し、26%を覚えていた。 1週間後には、77%を忘却し、23%を覚えていた。 1ヶ月後、には79%を忘却し、21%を覚えていた? 実践しなければ、理屈をいくら知っていても成績には反映されない。 定着をはかる鍛錬、それを何度も繰り返すことを放棄して、 授業を聞いただけで、余程でない限り成績が上がることはない。  「習いに行っているのに成績が上がらない」 「同じ間違いを何度も繰り返す」 「うっかりミスが多い」・・・ 塾に行っているだけで成績向上に必要な鍛錬である 反復訓練が欠けていれば予想できる結果である。 よく「勉強のやり方を教えてほしい」という要望を受ける。 塾としてそれに応えるべくあの手この手を使って指導するのだが、 なかなか難しいことも中にはある。 残念ながら『これをしただけで絶対に上がる』という 魔法のようなテキストや指導法はない。 また、「塾に通ったから家では勉強しなくていい」という子の成績はまず上がらない。 逆に「塾に行ったのだから、もっと勉強しなくては」というケースでなければ。 こういった理由から、「塾に行っているのに成績が上がらない」場合、 授業を聞いているかどうかと反復訓練が十分できているかどうかの二つの点に 注目すると問題の解決策が見えてくるものである。  つまり、一般的な塾の授業を受けることは勉強ではなく、理解をするための情報を受け取り、理解への準備をしている段階なので、授業を受けた後の定着をはかる反復訓練を抜きにしては、塾に行っても成績が上がらないという結果になってしまうのである。 

平等と不平等

 教育で一番楽なことは何だろう? それは、子どもたち全員に「同じもの」を提供すること。 勉強ができる子にも、そうでない子にも、 同じテキスト、同じ授業、同じ時間を与える。 今の学校教育では、同じものを提供することが平等であり それを外れると不平等だと固く信じてること。 しかし、それぞれの子たちによって求めるものは違う 誰一人同じ子はいないし、一人ひとり能力は違うもの。 画一的にできる子にも、そうでない子にも同じプリントを与え続けている。 これは真の意味での平等ではないのではないかと思う。 HYBRIDでは学力に応じて異なるプリント類をやらせたり その子に応じて問題の難易度を使い分けている。 また同じプリントでも最初の大きな問題だけやる子もいれば 全部解かせる子もいる。 そして間違えた問題はできるまで類題トレーニングを実施する。

依存学習の弊害①

『 解くことが、勉強 』 『学ぶよりも、教わる』 『調べるよりも、覚える』 こういう環境下で、小学から大学まで16年間も過ごしたらどうなるでしょう? 答えがひとつしかない問題には強くはなるかもしれませんが・・・ 「自ら考える力」は皆無に等しくなるでしょう! 考えることをせずに「答えを欲しがる体質」に染まってしまいますよね。 もういい加減に、依存学習から脱皮しないとこの国は沈没しますよ!! 自ら「考え抜く力」を真剣に身につけましょう!! ※これは過去に自分が書いたブログの文章の一部。それから10数年が経ったが、大学入試を筆頭に、「答えがひとつしかない問題」は年々減少してる。

テストは試合

 テスト。これはスポーツでいう試合だと考える。 試合に出ることではじめて、貴重な気づきを得ることができる。 畳水練(たたみすいれん)という言葉がある。 《畳の上で行う水泳の訓練の意》理屈ばかりで実地の訓練が欠けているため、実際には役に立たないこと。畳の上の水練。畑水練。 また、最近の小・中学生の口癖として「こんなの習っていません」というものがある。ここ2~3年の間、かなり頻繁に聞くようになった。コロナ渦の影響?これがZ世代というものなのか?この短期間に何があったのか?と色々と悩んだもの。「だめだ」と脳が判断すれば、とにかくそこで思考がシャットダウンするようだ。見方を変えたり、あと一歩深く考えれば、これまでとは違った景色が見えるのに・・・。スポーツにせよ、勉強にせよ、そこを超えることで初めて面白い、楽しいといった境地に辿り着けるものだと今も信じてこの仕事をやっている。そんな彼らをなんとかして、そこまで導いていきたいのだ。 そこでふと思った。そうだ、テスト(=試合)をやろうと。地元のテスト会には思うところあってここ数年、離れていたが、今回は全国規模のテスト会に参加しようと考えている。ここまで学習してきた知識を如何に駆使して問題に取り組むか。ここに大きな意義があると考える。